操作的診断と精神分析的診断~エビデンスとナラティブ ラポールをつくる重要性 福岡大学 西園 昌久 名誉教授
私は九大医学部で育ち1973年に福岡大学に新しい医学部ができたのを機に教授として着任しました。そこで精神科医を育てるにはカルテを大切にする必要性を感じ新しいカルテを作りました。本日は、私が福岡大学で行ってきた精神科診断法、DSM-Ⅲ操作的診断法の光と影、精神分析的診断法、精神医学の本質と診断法などをテーマに話したいと思います。
70年代、全世界的に発達国を中心に生じた権力への抵抗運動と連動して反精神医学運動が起こりました。「精神医学それ自体がうつ病」とまで言われる事態に陥り、ことにアメリカではそれまでの精神分析学的指導理念が批判されました。そこで精神医学の蘇生の活路として開発導入されたのが「証拠に基づく診断法」としての操作的診断法ならびに分類法であるDSM-Ⅲ(1980)であります。それは、記載されている基準に従えば多くの人の意見の一致が期待されるいわば民主的診断です。このあらかじめ記載された基準に基づく操作的診断法は発達する生物学的精神医学とも符号し、精神医学へのグローバリゼーション化に伴いWHOのICD診断法にも取り入れられました。こうしてDSM-ⅣやICD-10は現在の精神科医にとって診断上の「ミニ・バイブル」とさえ言われるに至っています。ところでそもそも精神科診断の目的は何でしょうか。それには
- 患者の持つ病理性の客観的把握、分類に止まるものではない。
- 治療の必要性、可能性、選択、計画
- 患者の持つ問題への理解・共感
- 自殺の危険性、孤立からの保護
- 予後についての情報収集と見通し
- 治療からの脱落の可能性を減少させる役割
などがあると考えられます。それらは患者と精神科医との間のラポールないしは関係性に従って初めて明らかになるものです。
アメリカ精神医学会長を勤めたTasmanの編集した「精神医学書」第一章の「患者に聴く」の書き出しにはBinswangerの「フロイトの影響が現れる前までの精神科問診はあたかもシャツの上から打・聴診するようなもので、患者の大切な隠された心の部分は手付かずで残されたままであった」という記載が引用されています。我が国では土居健郎の「ストーリーを読む」が識者の間で支持されています。これらは必ずしも精神分析療法に限って有用というわけでなく一般的精神科治療の際にも望まれる事であります。精神分析治療を始めるにあたっては症状や行動を含めた現在の生活上の問題ばかりでなく、人格発達過程での出来事、さらには治療動機や治療者への期待などを詳しくアセスメントいたします。
現在、DSM-Vへの改革にあたり、病態の把握分類が大きく変更されると伝えられています。しかし、いわゆる基準を設けての操作的診断法には変更はないでしょう。それは「証拠に基づき」かつ多くの人が一致するという「民主的決定の思想」に裏づけられているからであります。しかし、精神医学は人間存在の本人も自覚できにくい不確かであいまいな部分も引き受けなければなりません。当事者と精神科医との相互関係性があって初めて明らかにされる部分でしょう。その役割を担っているのが精神分析的診断だと考えます。